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札幌高等裁判所 昭和60年(う)125号 判決

控訴人 弁護人

被告人 岡田欽雄

弁護人 八重樫和裕

検察官 咄下吉男

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人八重樫和裕提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、原判決は、原判示第二の事実において、被告人は、原判示妻誠子を保護すべき責任があるのに、いまだ生存している同女を既に死亡しているものと誤認し、死体遺棄の故意のもとに、同女を原判示自宅及び工場敷地の北西端よりの廃車付近から同敷地南西端付近まで運んで投げ捨て、もつて同女を遺棄したと認定した上、被告人は、死体遺棄罪の故意のもとに保護責任者遺棄罪を犯したものであるところ、両罪には実質的な構成要件上の重なり合いがあるから、軽い前者の罪が成立すると判断しているが、死体遺棄罪と保護責任者遺棄罪とは、その保護法益や罪質も、客体の属性も異なり、構成要件的に重なり合う部分はないから、被告人の本件所為について死体遺棄罪は成立せず、被告人は無罪であり、原判決には法令の解釈適用を誤つた違法がある、というのである。

論旨に対する判断に先立ち、職権をもつて調査すると、左記のとおり、原判決の判示第二の事実には誠子の死亡の認定に関し事実の誤認があり、原判決は破棄を免れない。

まず、本件発生の事実経過についてみると、関係証拠によれば、

1  被告人は、昭和六〇年一月二九日午後六時四〇分ころから、原判示大型特殊自動車のシヨベル・ローダを使用して、被告人方居宅及び被告人経営の富士ボデー工業の工場の敷地の除雪を始め、同日午後八時三〇分ころ、途中からプラスチツク製のスコツプを使つて雪かきの手伝いをしていた妻誠子に対し、シヨベル・ローダの車上から「もういいぞ」と声を掛けて家の中に入るように促した後、同日午後八時五〇分ころまで除雪作業を実施したこと、

2  その後被告人は、シヨベル・ローダを貸主の株式会社藤本タイヤ工業に返しに行つたりして、同日午後一一時ころ、自宅に入り入浴したが、翌三〇日午前零時ころに至り、妻が自宅内にいないことに気付いたこと、

3  そこで、被告人は、自宅や隣接の富士ボデー工業の工場事務所などを探したが、同女を見付けることができなかつたので、右工場の敷地に出て同女を探すうち、同日午前零時三〇分ころ、右敷地内北西端の渚滑古川よりの場所に置いてあつた廃車の上に、同女が除雪に使用していたスコツプを発見するとともに、前日午後八時四〇分ころに同所付近でシヨベル・ローダを右廃車に衝突させたことがあるのを思い出し、ひよつとしたらその際同女をひいて雪の中に埋没させたかもしれないと考え、同所付近の雪山(除雪した雪を積んだため小高くなつたところをいう。)をスコツプで掘つたところ、雪の中に埋没していた同女を発見し、同月三〇日午前一時ころ、そこから同女を掘り出したこと、

4  被告人は、同女を掘り出すや、その顔を叩くなどして大声で名前を呼んだが、何の反応もなかつた上、自分のほおを同女のほおにつけても氷のように冷たいだけで、呼吸を感じることもできなかつたこと、更に着衣の中に手を差し入れて右胸のあたりを触つたが、鼓動を感じることはできなかつたので、心臓の位置を確めるべく、自分の胸に手を当てて心臓が左にあることを確認した上、再び同女の左胸に右手を当ててみたが、やはり鼓動を感じることはできなかつたこと、同女の両腕や下肢部分は冷たく硬くなつており、胸にもほとんどぬくもりはなく、顔面はそう白でやつれて変形していたこと、

5  同女がそのような有様であつたので、被告人は同女が死亡してしまつたと思い込み、しばらくの間ぼう然自失の状態でいたが、寒気のため我に帰り、同女を自宅の中に運ぼうとしたが、事故が起きたと思われるころよりすでに四時間近く経過していたので、これを届け出るなどしても、事故によるものであることを誰にも信じてもらえず、かえつて自分に殺人などの嫌疑がかかり、そうなれば富士ボデー工業の経営が困難になるのみならず、二人の子供の将来にも大きく影響することになると考え、いつそのこと同女を交通事故に見せかけて遺棄しようと決意し、同日午前二時四〇分ころ、国道二三八号線わきの前記敷地南西端付近まで同女を運んで投げ捨て、更に、交通事故に見せかけるため前記工場内から塗膜片、レンズの破片などを運び、そばの右国道上にまき散らし、同日午前三時ころ自宅に戻つたこと、

6  被告人は、自宅に戻つた後何度も自宅の玄関から顔を出し、同女を自宅に運ぼうと考えたが、他人に見つかると、自分が殺したものと疑われるのではないかと思い、あれこれ思い悩んで時を過ごすうち、同日午前八時二五分ころになつて、同女の実弟で、富士ボデー工業に勤める汲田伸男が、前記場所に倒れている同女の死体を発見するに至つたこと、

7  同女は、雪の中から掘り出された当時、シヤツ、セーター、ジヤンパー、パンテイ、ガードル、ズボン、ソツクス、防寒靴を身に着けており、ズボンやガードルには破れ目があり、各着衣には血液が付着していたこと、

8  同女の身体には多数の創傷があつたが、右肘関節腔破裂、右橈骨脱旧、右尺骨骨折、右大腿骨骨折、左腸骨粉砕骨折、恥骨骨折、左腰部皮膚変色部等は、シヨベル・ローダによる轢過あるいは強圧によつて発生し、左第二ないし第六肋骨及び右第二ないし第五肋骨骨折等は、車体の一部に強圧されることによつて発生したものと考えられること、

9  同女には死因となるような疾病は格別認められず、顔面には砂が付着し、鼻口腔内、食道内、気管支内には砂があつたが、鼻口閉鎖には至つていなかつたこと、

10  紋別測候所の観測によれば、同地方は、同月二九日午後三時ころから降雪があり、気温は午後九時に氷点下一三度、午後一二時に同一三・九度であり、翌三〇日も雪が降り続き、同日午前三時の気温は氷点下一四・四度であつたこと、

などの事実が認められる。

次に、誠子の死因、死亡時期等についてみると、医師石橋宏作成の鑑定書、証人石橋宏の原審公判における供述、同証人に対する当審受命裁判官の尋問調書などによれば、

11  誠子の死因は、凍死(凍冱死)であり、前記8の傷害により低温環境から脱出する行動能力が失われたことがその誘因になつていること、

12  凍死に至る一般的経過は、失調期、麻痺期、虚脱期の三段階に分かれ、失調期は、最も時間が長く、体熱の産生がその放散に追い着かず、体温が徐々に下がつて、めまい、倦怠感、筋肉の不活、感覚の鈍麻などの身体の失調が生じる時期であり、麻痺期は、直腸温が三三度ないし三四度くらいに下がり、中枢神経の機能が低下し、ある程度の呼吸困難が生じるが、むしろ心機能はこう進し、血圧も正常に保たれる時期であり、虚脱期は、直腸温が三〇度あるいはそれ以下に急激に下がり、血管中枢が麻痺し血圧も急速に低下し、意識はほとんど消失し、仮死状態に陥り、全身けいれんが現われ、心臓細動を起こしてついに死亡するに至る時期であること、

13  虚脱期においては、心臓は微かに拍動しているという程度であつて、心臓細動のときには、医師が触診してもほとんど心拍動を感受できず、聴診器で聴いてもはつきりしないことが再々あること、呼吸も外形上は停止しているように思われる状態であり、とりわけ仮死状態のときは、肋骨の上下運動や、鼻、口の空気の出入を手を当てるなどの方法で感受することはできず、冷たいガラス或いは鏡のようなものを口又は鼻孔に近づけて曇り具合を調べるなどの方法をとらなければ、その有無を確かめることは非常に困難であること、なお、虚脱期に至ると、一般に蘇生術を施しても、死亡までの時間が一時長引くだけで結局は死に至るものであること、

14  誠子の死亡推定時刻は、死体の解剖所見によれば、解剖開始時である同月三〇日午後九時一〇分の一八時間から二五、六時間前、すなわち、同月二九日午後七時一〇分ころから同月三〇日午前三時一〇分ころの間であるが、個体差があるので、死後の経過時間を一義的に明確にすることはできず、現代の法医学の知見においては、誠子が前記死亡推定時刻の範囲内のどの時期において死亡していたとしても、これに矛盾はないとしか言えないこと、

15  もつとも、誠子の発掘時の状態は、仮に死亡していなかつたとしても、前記虚脱期にあつたものと推定され、その後更に前記10で示すような厳寒の外気に約一時間四〇分そのまま置かれた状態が続くとなると、遺棄された時点ではすでに凍死するに至つたものとみられる可能性が極めて高いこと、

などの事実が認められる。

そこで、これらの諸事情を前提にして、被告人が誠子を敷地内に遺棄した同月三〇日午前二時四〇分ころの時点で、誠子がすでに死亡していたかどうかについて考察する。

(1)  被告人は、同月二九日午後八時四〇分ころ、誠子に対し、自力脱出不能な程度の傷害を負わせた上、厳寒時雪山に埋没させてしまい、約四時間二〇分後の翌日午前一時ころ、ようやく同女を雪中から発掘したが、その際すでに同女は前示のように被告人の呼び掛けにも全く答えず、雪に触れていた身体部分は氷のように冷たく、着衣におおわれていた胸にもほとんどぬくもりはなく、両腕や下肢部分は冷たく硬くなつており、手を当てるなどして確めても心臓の鼓動も呼吸も全く感じられなかつたという状態であつたので、被告人は、同女が死亡しているものと思い込み、氷点下一三、四度の寒冷な外気中で同女を抱えたまま、何の手当も加えず、それから約一時間四〇分経過した午前二時四〇分ころに至り、ついに同女を敷地内に遺棄したというのであるから、少なくともその時点においては、被告人のみならず、一般人から見ても、同女は既に死亡していたものと考えるのが極めて自然であるということができる。

(2)  法医学上の観点からみても、前記のとおり、死体解剖所見による誠子の死亡推定時刻は、同月二九日午後七時一〇分ころから同月三〇日午前三時一〇分ころまでの間であるが、同女を発掘した時点において、仮に同女がいまだ生存していたとしても凍死に至る最終段階である虚脱期にあつたものと推定でき、発掘後から遺棄までの気象条件、時間なども勘案すると、少なくとも遺棄時においては、誠子は死亡していた可能性が極めて高いと考えられる。

(3)  ところで、前記死亡推定時刻は、あくまでも死体解剖所見のみに基づく厳密な法医学的判断にとどまるから、刑事裁判における事実認定としては、同判断に加えて、行為時における具体的諸状況を総合し、社会通念と、被告人に対し死体遺棄罪という刑事責任を問い得るかどうかという法的観点をふまえて、誠子が死亡したと認定できるか否かを考察すべきである。

本件において、仮に遺棄当時誠子がまだ死亡に至らず、生存していたとすると、被告人は、凍死に至る過程を進行中であつた同女を何ら手当てせずに寒冷の戸外に遺棄して死亡するに至らしめたことになり、同女の死期を早めたことは確実であると認められるところ、自ら惹起した不慮の事故により雪中に埋没させてしまつた同女を掘り出しながら、死亡したものと誤信し、直ちに医師による治療も受けさす等の救護措置を講ずることなく、右のように死期を早める行為に及ぶということは、刑法二一一条後段の重過失致死罪に該当するものというべく、その法定刑は五年以下の懲役もしくは禁錮又は二〇万円以下の罰金であるから、被告人は、法定刑が三年以下の懲役である死体遺棄罪に比べ重い罪を犯したことになつて、より不利益な刑事責任に問われることになる。また、被告人の主観を離れて客観的側面からみると、誠子が生存していたとすれば、被告人は保護責任者遺棄罪を犯したことになるが、同罪も死体遺棄罪より法定刑が重い罪である。本件では、誠子は生きていたか死んでいたかのいずれか以外にはないところ、重い罪に当たる生存事実が確定できないのであるから、軽い罪である死体遺棄罪の成否を判断するに際し死亡事実が存在するものとみることも合理的な事実認定として許されてよいものと思われる。

以上の諸点を総合考察すると、本件においては被告人の遺棄行為当時誠子は死亡していたものと認定するのが相当である。

したがつて、原判決の判示第二の事実については、事実の誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、控訴趣意について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れないところ、原判決は、判示第二の事実を同第一の事実と合わせて刑法四五条前段の併合罪として一個の刑を科しているので、原判決は結局全部を破棄すべきである。

そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、被告事件について更に次のとおり判決する。

(犯行に至る経緯及び罪となるべき事実)

原判示第二の事実を、

「第二 前同日午後八時四〇分ころ、前記被告人方居宅及び工場の敷地内北西端の渚滑古川よりの場所において、前記自動車を使用して除雪中、妻誠子に同車を衝突させ雪の中に埋没させる事故を起こし、翌三〇日午前一時ころ、同女を雪の中から掘り出したが、同日午前二時四〇分ころ、少なくともそのころには凍死していた同女の死体を同場所から同敷地内南西端付近まで運んで投げ捨て、もつて死体を遺棄し」と改めるほかは、原判決と同一であるから、これを引用する。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、道路交通法一一八条一項一号、六四条に、判示第二の所為は、刑法一九〇条にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪につき懲役刑を選択し、以上は、刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、重い判示第二の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内において、被告人を懲役一年六月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、被告人に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して、原審及び当審における訴訟費用中原審分を被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

被告人の本件犯行は、無免許で大型特殊自動車を運転し、更に、同車で除雪中誤つて妻を負傷させ雪山に埋没させた上、結局凍死させたのに、その死体を遺棄したものであつて、とりわけ死体遺棄の犯行は、自己に対する刑事責任の追及から免れる目的等専らその保身や打算のため、雪の中から同女を発掘しながら、医師による診察を受けさせる処置に出ることなく、交通事故を偽装するまでして敢行されたもので、十数年にわたり共に苦労し協力し合つてきた妻に対する夫の仕打ちとしては、およそ考えられない人情に反する自己中心的なものであること、被告人は、昭和四二年二月窃盗罪、公文書偽造罪などで、昭和五〇年三月窃盗罪で、いずれも執行猶予付きの懲役刑の判決を受けているほか、昭和四五年六月業務上過失傷害罪で、昭和五八年一二月道路交通法違反(速度違反)の罪で、それぞれ罰金刑に処せられていることなどを考慮すると、被告人の刑事責任は決して軽いものではない。

しかし、被告人は、最近においては比較的安定した堅実な社会生活や家庭生活を送つていたものであり、現在幼い子供二人を養育しなければならない立場にあること、妻の親族が被告人を宥恕していること、その他被告人の反省の態度などを参酌すると、被告人に対しては、社会内での更生を図るのを相当とし、前記のような執行猶予付きの刑をもつてのぞむこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 水谷富茂人 裁判官 横田安弘 裁判官 肥留間健一)

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